今から15年前の1月17日午前5時46分、悪魔が神戸に舞い降りた。

多くの命を奪い去り町並みを消し去ったあの震災か既に15年が過ぎ去ってしまいました。皆さんあの日の事を覚えていますか。実はあの年は私にとっても忘れられない年でした。実は私が市議会議員一般選挙に立候補したのが、この年。また4人目の子どもが生まれたのがこの年でした。

実はこの震災が起きた1週間後、日本薬剤師会より震災の傷跡が痛々しい長田町に薬剤師として支援に赴いてほしいとの連絡があった。しばらく悩みました。当然余震も考えられ危険な状況が続いており、睡眠も寝袋持参ということを考えると躊躇したわけです。さらに立候補を決めたのが震災発生の約1ヶ月前の12月18日。年が明けて死にもの狂いで選挙に挑戦しなくてはならない時期に震災発生間もない神戸に寝袋一つででかける事に対して、周囲からたくさんの反対があったのも事実です。危険だとか、選挙をなめているとか、様々な意見が噴出しましたね。でもいったんですよ。遠い神戸の話とは思えなかったんです。地域再生を目指して立候補しようとする人間にとって、自分の町のことだけ考えるっていうのは情けないなとの想いが強かったんです。

長田町へ入って瓦礫の中を歩きながら唖然としました。この町は再生できるのか、という感じです。また突然人生のピリオドを打たれた人々の無念の思いが伝わってくるようで辛かったですね。夕飯は硬くなったご飯に冷たいカレーを余震の中で食べました。

今回そのような15年前の思い出を胸に、震災15年メモリアルデーに参加してきました。実は1月16日に日本PTAの総務委員会を神戸で開催する計画を立て、翌日のメモリアルデーで参加しようと総務委員会で話し合っていたんです。当日参加して感無量でした。15年前の神戸に薬剤師として医療支援ボランティアで訪れた時の記憶が蘇った一瞬でもありました。神戸の人々の再生への努力となくなられた人々の命の重さを感じざるを得ない5時46分でした。神戸の人々の勇気に敬意を表すると共に、多くの犠牲者のご冥福をお祈りいたします。いかに安全・安心が大切か現在の浜田市の課題と共通しています。地元の防災強化のためにも頑張っていく決意を新たにしました。

震災が奪ったもの 「命 仕事 団欒 街並み 思い出」

震災が残したもの「 やさしさ 思いやり 仲間 絆」